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探究社の花岡大詩さんにすすめられて、大阪の津村別院から放送された「北御堂
テレフォン法話」を整理してみました。昭和五十七年の成道の日から昭和五十八年
一月末までに放送した二十七回分に、新しく三篇を加えて三十話としました。
耳で受けたものと、成文化したものを読んだ印象との間に、かなりの差を感じた
ので、放送内容に修正を加えたものも少なくありません。しかしテレフォン法話の
「現代と真宗の教え」というテーマを生かし、その骨子を大きく崩さないように心
がけたつもりです。何分、出版の話があって半月、しかも限られた紙数のために意
の尽せぬところも多いのですが、この小冊子が、少しでも佛法に近づくご縁となれ
ばまことに幸せです。
書名を『佛の眼』としたのは、ともすれば、佛の眼のあることを忘れがちな自分
への戒めでもあります。
昭和五十八年七月 夏の陽射し強き日に
著 者
まことに人は「どちらへ行かう」と迷い、時に「きりぎりす」のような心境を抱きます。
とあります。私たちは、釈尊の成道によって、苦を解決するにはどうすればよいか、迷わずたしかに生きられる道は何かということを知ることができたのです。
迷いの中で(1話)
私たちは、人生の根本問題は何であるかを深く考えることもなく日を過しが
ちですが、それだけに事に当って戸惑ったり、たしかな方向を模索しながら迷い
を重ねることが多いのです。私の学友が句集『貝殻祭』のなかに収録した作品の
一つにこんな俳句があります。
どちらへ行かう 風の中なる きりぎりす
思うに、釈尊が王城を出られたのは、老病死の苦を解決するためでありました。それなくして真の平安を得ることができないということであったのです。そして「勤苦六年」の後、ついに縁起の道理にめざめて、佛陀となられたのであり
ました。『涅槃経』に、
いかんが佛となす。佛とは覚となす。すでに自ら覚悟し、
また能(よ)く他を覚らしむ。
一般に「覚悟ができた」ということは「肚(はら)が決まった」ということを意味していますが、私たちが迷わずに生きられる道、それは生死解脱を説く佛法に肚がくくられることです。
今日は十二月八日、釈尊成道の日であります。
目次へ
私は、そのとき、ふと四国の大歩危(おおぼけ)・小歩危という地名を思い出したのでした。ここでは、歩みが危いという文字で〃ボケ〃と読ませています。あまり景色に気をとられて、足もとに注意しないと危いぞという意味であろうと思うのです。
ボケは歩危であるということが面白いと思ったのです。私たちのすがたを言い当てているように思えたからです。たしかに人間は、いつも、急がねばならないことに心を向けないで、どうでもいいことに神経をとがらしています。自分の歩みの危っかしいことにも気づかずに、いたずらに日を送るのみです。
人間は、いそがしくいろいろな務めにかかわって、いのちの日夜に
去ることを知らぬ。あたかも風中の灯がいつ消えるとも期しがたい
がようである。
という善導大師のことばが胸にひびきます。
二人で居たれど まださびし 一人になったら なほさびしかつて〈群衆の中の孤独〉ということばがよく用いられました。哲学者の三木清も、
しんじつ二人はやるせなし しんじつ 一人は耐へがたし
孤独は山のなかにあるのではなく、街のなかにある。一人のひとのなかにあるのではなく、おおぜいの人間の間にある。
と書いています。人間はどこまで行っても孤独を背負うて生きているのです。
人という文字は、何か支えがなければ倒れるという意味をあらわしていますが、この人生のなかで、末通ってこの私を支えきってくれるものはありません。何ものをも当てにならぬと知られたとき、苦が生まれます。悩みが生じ、絶望の涙を流したりします。その抜きがたい苦悩を抱く私たちがあればこそ生まれたもの、それが阿弥陀如来の「汝救わずば」の誓いでありました。私があって佛のねがいが生まれたのです……。
私たちが耳にすることばだけでも、電力、水力、原子力、体力、金力、学力、組織力、説得力から権力に至るまで数え切れないほどあります。しかし、かなしみをよろこびに変えることのできるもの、絶望から希望へと転換させる力は、容易に見出すことができません。たとえ一時的にそれが可能であったとしても、私の人生をつらぬいて、絶対に崩れることのない力を見出すことは不可能です。
よく「精神力さえあれば」と言う人がありますが、自分でつくりあげた力は、まわりの状況次第でもろくも崩れてしまうことは、私たちがつねに経験するところです。「しっかりしよう」とか「がんばらなくては」と決意しても、かけ声だけで終りがちです。
佛のねがい、この私を救うはたらきを「本願力」と言います。如来の本願は、まさしく力であると示されているのです。いついかなるときでも、生きて甲斐のある人生が開かれ、苦悩とうつる人生のなかであっても、それをよろこびにかえる力、それが本願力です。
惨たんたる 悔いののこせし一一の あとかたもなき 無碍の一道 (池山栄吉)これこそが本願力に遇(あ)い得たたくましい生き方でありましょう。
これは、いつもたしかな力に支えられているという安らぎが、かなしみであっても、それをご縁と受けとめて、そこから起ち上る道が開かれていたからでありましょう。
かつて一國の首相が、他力本願ではだめだと発言して物議をかもしたことがありましたが、マスコミなどでも、不用意に、他力本願ではいけない、自力本願でなければと語ったり、書いたりしています。しかし、もともと自ら菩提心を発(おこ)して悟りを開こうとするものに、本願がある筈はないのです。いかに日本人の宗教認識が浅いかが知られます。
親鸞聖人は「他力とは如来の本願力なり」と明確に示されました。他力とは佛力なのです。この私が佛に成れるかどうか、私が救われるかどうかというときにこそ用いられることばであって、他人から手助けをしてもらうときに使うことばではないのです。だから、むかしの人が「お他力さま」という表現を用いたことを思えば、源左さんの「ようこそ、ようこそ」は、いつでもどこでも生かされて生きているというよろこびの証(あかし)であったと思えるのです。
私たちが「本願他力に生きる」ということは、応答のある人生を持つということです。佛につねに呼びさまされて生きるということです。その安らぎの状態を、親鸞聖人は『教行信証』の行の巻の帰命釈に、悦という文字で示されています。
帰命の帰という文字は「帰悦」であると説かれて、そこに「ヨリタノムナリ」という註が付せられています。常識的に考えてみても、「タノム」ということが祈願の意味であれば応答が得られる筈がないので不安です。悦とは、ほのかによろこぶ状態をあらわすのですから、本当の安心と満足から出てくるものです。『御文章』などに出てくる「たのむ」ということばが、帰するという意であり、あてたよりにするということであると知らされれば「たのむ」すがたこそ悦であります。
いつでも、どんなときでも、怯(おび)えがちな私たちを照らし護り呼びつづけて下さる佛のいのちにあえてこそ、真の悦びが生まれるのです。
よく「わけのぼるふもとの道は異なれど同じ高嶺の月を見るかな」という歌を引用して、山頂を極めれば、どの道を歩こうとも同じではないかということを、不用意に話す人があります。私たちのまわりでも「神佛一体」とか、「どの宗教も行きつくところは同じである」という声をよく聞きます。これは宗教の本質を全く知らない人のことばです。
私たちが歩く道は、いかに多くあろうとも、私の歩く道は一つしかない筈です。どの道を歩くかが問題であって、歩く道が選べないのが迷いの状態なのです。武者小路実篤のことばで言うなら、私にとって「この道」とはどのような道なのか、「我を生かす道」とはどの道なのか、自分が歩く道である以上、自分がはっきり決めるべきなのです。
佛教は佛道であります。「泥(ない)おん之道」と説かれているように、涅槃への道が説かれているのです。しかし私たちのような常に煩悩にひきづられているものに、自らの力で苦悩を断ちきることができない限り、その道は流転(るてん)の道でしかあり得ません。その私たちに、苦があって苦が越えられ、流転のなかにあって退転することのない道が与えられました。それが本願の上に成就された念佛の道です。まさに「道ありき」というべきでしよう。
この辻典子さんが「両腕がないのは、不自由ではないと言い切れないにしても、私は、一度も今の自分を不幸だと思ったことはありません」と言い切っておられます。自分の障害から眼を外らすことなく、事実を事実としてありのままに見つめながら、そこから自分の人生を自らの責任に於て生きようとする強さと美しさが、あの屈託のない笑顔のなかからたしかに受けとられます。
人生は理屈で生きぬくことはできないのです。丁度、起き上りこぼしが、何十回転ぼうとも立ち直ることができるのは、その重心が頭にあるのではなく腹にあるように、私の生きる重心はどこかと考えることです。蓮如上人が「私たちの愚かな心に、よき佛の心が加えられて救われてゆく」と語られているのは、不確かな私に大丈夫の大悲心が至りとどけられることによって、私の人生にむかう心に確かな一本の筋金が入るということです。
〃人間が生きるということは、徐々に生まれかわることである〃 とは『夜間飛行』の作者サンテグジュペリィのことばでありました。
「この窮すれば通ず」ということばは、本来「窮すれば転ず、転ずれば通ず」というべきであって、一番大事な意味の「転」ということばを抜いて用いられているのだと言われています。
たしかに「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」ということが言われているように、猫に追いつめられて逃げ場を失った鼠は、いままでの防禦(ぼうぎょ)の姿勢から、いきなり猫を噛むという攻撃の姿勢にかわります。鼠の思いがけない反撃にあって、いささか猫がひるんだすきに、その鼠は難をのがれるのです。謂わば、鼠の突差の智 恵であると言えます。
この「窮鼠猫を噛む」ということばは、二つのことを私たちに教えています。動物のみならず人間にあっても、行きづまったときは何を仕出かすかわからないということと、転換することのできる決断と智慧が、本当に生きるということの基盤になるということです。
どのようななかからでも「心のひるがえり」ができる人は賢者です。
モンテーニュの
たとい他人の知識で物しりになれるとしても、智慧者には、われら自身の智慧によらなければならない。
ということばには耳を傾けたいものです。
芭蕉は、何人かの仲間といっしょに、富士山を見るために出かけたのでありましょう。あいにく霧しぐれのために富士の姿を見ることができなかったのです。仲間のひとたちは、不足めいたことば、落胆した表情を露骨に見せたと思われます。そのとき芭蕉は、霧しぐれのために何も見えないけれど、この視界の果てに富士山があると思って眺めるのも、なかなか風情があるではないか、かえって趣きがあるではないかと詠ったものです。
人間は、何かにつけて短絡的にものを考えてしまいます。思うにまかせぬ状態に置かれると、すぐさま不幸の烙印を押したり、失望を露骨に示しては愚痴をこぼします。人生には全く無駄がないと知らされていても、自分の意にそぐわない状態に落ち込むと、全くゆとりを失ってしまうのです。
篤信家で知られる福岡県の白石通医師は、「闘病生活というよりも、病気のことは医師にまかせて、病に随う療養、随病生活によって明るさとゆとりを取り戻すことが、病める人にとって一番大切なことだ」と語っておられます。病いもまたご縁と受けとめられるようなゆとりと智慧、それが私たちの人生には欠くことのできないものでありましょう。
佛は私たちにそのような眼を与えて下さるからこそ「施眼」とたたえられるのです。
蓮如上人は「佛法者はおどろきやすし」と語られました。地震や火事におどろくのは、別に佛法を聞かなくても、恐怖心を持つのが人間である以上当然なことです。いま私たちがおどろかねばならないのは、まわりの事象にではなく、自分自身のすがたに対してです。いつも首尾一貫しない生き方をつづけ、しかもそれを当然かのごとく構えて、一向にその自己におどろこうともしない私自身のすがたにおどろくべきなのです。
私たちが佛に遇(あ)うということは、ありのままの自分に遇うことです。佛のひかりに遇うことによって、自分のすがたにおどろくのです。そのおどろきから出てきたもの、それが悪人という自覚です。
悪人ということばは、他に向って用いると、相手を裁くものとなります。これはあくまで自覚のことばであって、自己中心性の強い愚かしき私のすがたが言い当てられたと受けとるべきものなのです。だからこそわれわれは「悪人になりて」救われるのです。愚に返って本願を仰ぐのであります。
不審に思ったその将校は、黒人の手から読んでいた書を取り上げると、それは手垢で汚されている聖書でありました。将校は「どこにお前のことが書いてあるのか、生意気なことを言ったら許さぬぞ」と鞭を当てると、黒人は、わなわなふるえる手で、その書の一節を指さしたのでありました。そこには「汝、つみびとよ」と書かれてあったというのです。その黒人にとって「汝、つみびとよ」とは、そのまま自分に語られたことであると受けとめていたのでありました。
佛法を聞く上でも大切なところはそこであります。「一生造悪の凡夫」とか「邪慳(じゃけん)きょう慢悪衆生」ということばは、そのまま私のことが言い当てられているのだと知るべきです。
私のどこを押さえてみても、佛になる可能性は微塵もありません。何を行なっても、不徹底でしか終らない私たちであれば、親鸞聖人が「とても地獄は一定すみかぞかし」と言われたことばがしみじみと肯(うなず)けます。この私があってこそ佛の願いが生まれたということを、歳末にあたってよくよく考えてみたいものです。
明日は元日がくる 佛とわたし 放哉
春になって黒い土から芽が吹き出るまでには、草木は冷たく厳しい冬を経験します。芽が出て幾歳月をかけて木に成長し、やがて花を開くに至るまでには、風雨にたたかれたり、灼熱の太陽にさらされるなど、その成長過程は大変な苦労を伴うものです。そのように私たちも、苦悩やかなしみをいかに身に受けようとも、たしかな芽の出る人生を持ちたいという思いが「おめでとう」という新年の挨拶になったと考えることが出来ます。
佛教では「一切皆苦」と説かれています。取りわけ「行苦」ということばが用いられているように、私たちの存在そのものが苦から逃れることができません。生きるということ自体が苦であります。したがって、苦が越えられる道が得られたとき、人はたしかに生き得たということになるのです。良寛さんの詩の一節に、「蝶来るとき花開き、花開くとき蝶来る」ということばがありますが、素直な思いで法に向えば、佛と私とはつねに一体であります。佛は私があって願いを起され、私は佛があって生きられる。その人生がめでたいのです。
生かされて生きてきた
生かされて生きている
生かされて生きていこうと
手を合わす 南無阿弥陀佛
というのがありますが、昨日も生き、今日も生き、明日も生きる力にめぐまれたもの、それが念佛申す身の幸せなのであります。
元日のこと、直弼公がお茶を一服喫(の)もうと、かねて愛用の茶釜を取り出したところ、側近の者が「この茶釜には、南無阿弥陀佛と書かれています。新年早々のことでもあるので、別の茶釜を用いられてはいかがでしょうか」と申したというのです。
すると直弼公は、「南無阿弥陀佛というのは無量寿如来のこと、限りない生命を持たれた佛というのであれば、これほどめでたいものはない。まことに元旦にふさわしい茶釜ではないか」と語って、名号の書かれたその茶釜を用いて元旦のお茶をたのしんだと言われています。
南無阿弥陀佛という六字のみ名は、この私を育て、この私を生かすはたらきを持つ、まことにめでたいみ名であります。念佛申す身になるということが、そのまま、めでたく人生を生きる身になるということなのです。だからこそ浅原才市さんは
おがみようがない
おがまれてよろこぷ
なむあみだぷつ
とうたったのでありました。佛に拝まれていることに気づいた念佛は、めでたい念佛です。
いつの時代でも、人間のねがいは、安らぎとよろこびのもてる日を送りたいということに尽きます。いかにあかあかと電灯のついている家でも暗い家庭があり、ストーブの燃えている部屋にすわっていても、さむざむとした心を抱いている人もありましょう。
かの有名なドイツの文豪ゲーテが、その死に臨んで「もっと光を!」と言ったということは、よく知られているところです。これは暗くなる人生の終りに光を望んだのか、単に部屋が暗いために、カーテンを引いて光を部屋の中に入れてほしいと言ったのか、その真相は分りません。ただ言い得ることは、彼が光を求めたことに間違いはないということです。それ故にこそ、この「もっと光を!」ということばが語り継がれているのでしょう。
人間は陰花植物と違って、暗くてじめじめしたなかでは生きることができません。光を求め、光を受ける人生、そこにこそ本当の安らぎとよろこびが持てるのです。
佛は、欲といかりと愚痴にさいなまれている私に、清浄光、歓喜光、智慧光を以て照らし育(はぐ)くみ救いとって下さるのです。ほんとうのあかるさとあたたかさに遇(あ)い得て、ほんとうの安らぎとよろこびが得られれば、光はすでに溢れているのでありました。
ある寒い日の夕ぐれ、散歩に出かけたこの作家は、橋のたもとで寒さにふるえている老乞食を見るのです。あいにくポケットに手を入れてみても、与えるべきものを持ち合わせていないので、彼は、その老乞食のそばまで出かけて肩を抱きながら、「何も持ち合わせていないので、せめてあなたの冷たい手をあたたかくさせてもらおう」と両手でかじかんだ老人の手をあたためたのです。すると、この老人は、あふれんばかりに涙を流しながら、「こんなすばらしいプレゼントをいままで貰ったことがありません」と感謝したというのです。
人の心の安らぎは、物によって得られるものではありません。自分のことを思ってくれるその人の心のぬくみに安らぐのです。
佛心とは大慈悲であると言われます。慈の原語であるマイトリーというのは友情をあらわし、悲の原語のカルナーは、思わず出てくる同感のつぷやきであると言われています。いま阿弥陀佛の心が大慈悲であるということは、佛の御姿を見たてまつることによって知ることができます。木像であれ、絵像であれ、そのお立ちの御姿は、急ぎ衆生を救わんとする南無阿弥陀佛の心を如実に示したものです。
その身になりきってくれることばにあうことができたときの感激は一入(ひとしお)ふかいものです。人は、いつもあたたかな言葉で生気を取り戻すものなのです。
悲しみを知らぬ人等の荒ららけき 声にもわれは死ぬべくおもほゆ
というのがありますが、この左千夫と同じ歎きを持つ人は今以て変らないと思います。
本来、ことばというものには生命があります。たとい言い捨てで終ったことばでも、思い出したとき生き返ってくるものです。ことばには確かにいのちがあるのです。十年前であっても、あたたかなことばを思い出せば心が和み、責められたことばを思い出すと、自然に心が暗くなるということは、ことばというものは死に絶えることがないのです。
佛のみ名は、佛のいのちそのものです。み名を称えるということは、佛のいのちにふれるということです。だからこそ、私たちは、み名を称えて、み名を聞くのです。み名を聞くことが、佛のいのちにふれることなのです。いま西本願寺ではご正忌報恩講がつとまっていますが、親鸞聖人は、つねに佛のみ名を聞いてよろこび、つねに佛のみ名を称えて報恩と懺悔(さんげ)の一生を過されたのでありました。「身を粉にしても」と言い「骨をくだきても」と申された恩徳讃は、恐らく涙を拭いつつ詠われたのであろうと思います。
この老人の投書を読みながら、同じく一老人の詩を私は思い出したのでした。
タダイマノ死ガ イタダケルヒトヨ
ソノヒトニハ 生キテイル ヨロコビガアル
この詩は、福井県の竹部勝之進さんが、折々の法悦のうたを収めた詩集『はだか』のなかの一章です。
生きるということは、死を抜いて考えることができません。生きるということは人生に死なぬということです。単に死んでいないから生きているというだけでは、生きているよろこびなど出てくる筈はありません。言うまでもなく、死と生とは裏表であります。その死を見ることなくして生の意義は出てくる筈はないのです。「タダイマノ死ガイタダケル」人とは、生死の問題の解決ができた人です。私のいのちの依りどころが決まった人です。絶望のない人生が展(ひら)かれた人です。与えられたいのちをよろこぶことのできた人です。
へいぜい(平生)に臨終すんで葬式すんで
あとはあなたをまつばかり
なむあみだぶつに 臨終はない
この詩をよむと、親鸞聖人の「真実信心の行人は摂取不捨の故に正定聚の位に住す。この故に臨終まつことなし。来迎たのむことなし」ということばを思い起します。
凡夫というものは、畏怖心の去らないものです。つねに世間体に気を配り、他人の評判を気にし、生きることへの惑いを持ちつづけるものです。とりわけ命終畏―この命が終るかも分らぬという畏れは抜きがたいものです。『歎異抄』第九章に
いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも煩悩の所為なり
と語られているように、病気などすると、死ぬのではないかと不安な気持から抜け出せないのも、煩悩のなせるわざだからです。しかし、この私たちは、平生業成(ごうじょう)の教えを聞く身であります。平生に信を得る身になれば、臨終のときいかようであろうとも―例えば狂わんばかりにもだえようとも、無意識のままにその生を閉じようとも、それによって往生に間違いがないのです。だからこそ、如来は「大安慰」であり「畢竟依(ひっきょうえ)」なのです。
救わるべきは今であります。聞くべきは今を措(お)いてないのです。それが自分の人生をたしかに全うすることであります。
信心を言わない宗教はないのですが「信をよろこぷ」とか「信を得る」と表現し得る宗教は浄土真宗だけです。現世祈祷を行ない、自分の利益を得ようと願うときの心理状態は、自己の欲望を満たそうとする思いばかりがつのって常に不安です。そのような状況のなかでは確証が得られないだけに、とても〃よろこぶ〃という現象は出て来ないのが当然です。
浄土真宗の信は、真実の信であり、廻向の信であります。この廻向ということばも、一般に使われる場合には、私の方から佛にその思いを手向けることと理解されていますが、浄土真宗の信は、あくまで如来よりたまわる信であります。その信は、凡夫の迷心から生まれたものでなく、全く佛心であります。私を呼びつづけて下さる名号こそが信の中味です。だからこそ「廻向の信」であり、「真実の信」であり、信は「得る」ものなのです。
わたしゃあなたにおがまれて
たすかってくれとおがまれて
ご恩うれしや なむあみだぶつ
とうたった才市さんの法悦こそ、如実にそのことを示しています。
だから、佛と生まれるに間違いのない身と定まったことを「即得往生」と言い、これが信を得ることができたすがたであります。したがって、救われることに何の疑念も持ち得ない身になれば、この五体が失なわれぬままにすでに「浄土に居す」身となるのです。
ある婦人が、こんな歌ができましたと見せてくれたことがありました。
死ぬでなし 生まれかはれる浄土ありと
聞けばたのしき 老いの日々なり
この歌はまさしく往きて生まれることのできる身をよろこんでいる歌です。その人生の一歩々々が、光につつまれながら、光の世界へ歩む足どりの軽さを感じとることができます。「老いの日々」が詠嘆のなかではなく、歓喜のなかにあるということがすばらしいと思うのです。
私たちは、まちがっても、困ったときなどに、〃往生した〃ということばを用いないように心がけたいものです。まちがいはそのままそのような意識に変えてしまうからです。
自己の主観を加えずに聞き、謙虚に語る人の心を汲み取ろうとする素直さを持つことは、私たちの日常生活においても大切なことなのです。特に〈聞法〉を生命とする私たちにとって、教えを曲解し、感違いして受けとめるということになると、よろこぶべきことが、むしろ苦痛となり、いらだちとなることが十分考えられるのです。
例えば、「これを受け取って下さい」ということばを正しく受けとめれば、その返事は「有難う」となるか「不要です」ということになるか、若しくはそのことばを全く無視するか、この三つの対応しかない筈です。
いま「救われてくれよ」との如来の仰せが、まさしくわが為と聞かされるなら、とても「救って下さい」という思いやことばは生まれない筈です。この当り前のことが誤解されて、佛の救いを求めにかかることの愚かしさを戒められたのが、蓮如上人の「聴聞を心に入れ申さば」(聞書)ということばです。わが為と聞くことなくして〈おかげさま〉ということばは出てくる筈がないのです。
たしかに、人間の口は、他の動物と同じように、〈食べる〉というはたらきを持っています。同時に、他の動物と違って〈喋る〉というはたらきも持っています。にもかかわらず、口は一つしかついていません。然るに耳は〈聞く〉というはたらき一つであるにもかかわらず二つもついていることが、私たちに大事なことを教えているとゼノンは言うのです。彼は、この事実が私たちに「話す倍だけ聞け」ということを示唆しているのだと語っているのです。
むかしから我が國では〈話し上手より聞き上手〉ということばがあって、聞くことの大切さを教えています。また聡明という文字は、耳の明るい人を指しているように、人間にとって、耳と賢こさとは不可分の関係にあるようです。
話すには、いささかの知識や経験が必要であっても、聞くためには、それらは全く不要です。謙虚であればいいのです。素直であれば聞こえるのです。聞く耳を失なって傲慢(ごうまん)になりすぎた現代人にとって、このゼノンのことばは傾聴に値するものと言えるでしょう。
現世を祈り、良時吉日をえらび、いかさまな予言におののき、果ては、たたりや罰を恐れての水子供養の過熱ぶりをみると、末代悪世とか末法濁世ということばが実感されます。
人が現世において利益を求めるためにのみ宗教を求めようとする意識の低さは、恐らく発展途上國にも見られない現象ではないかと思われるのです。富が増大し、開発が進んだ日本の繁栄の裏側に、このような病巣があることはかなしいことです。
脱疽(だっそ)病という恐ろしい病気にかかって、両手両足を切断した中村久子さんをして
生かさるる いのち尊とし 今朝の春
と詠わしめたものは何であったかを考えてみたいものです。利益は求めて得るものではなく、結果として与えられるものです。本当の利益は生かされて生きているなかにこそ出てくるのです。
「この世の食べ物のなかで、何が一番うまいものであろうか?」
と訊ねたというのです。食べ物というものは、人によって好みが違い、時と場所と体調によって異なるので、一概にこれだと言い切れる筈がないのです。皆黙って答に窮していましたが、あまり誰も口を開かないと家康の機嫌が損じられると思ったお梶の方が
「はい、それは塩でございます。」
と答えたのです。不審に思った家康が、
「それでは何が一番まずいものと思うか?」
と重ねて訊ねたとき、お梶は再び
「はい、それも塩でございます。料理の旨い、旨くないは、材料によって決まるものではなく、塩加減一つによっていかようにでもなるものです。匙加減が、料理のコツでございます。」
と語ったというのです。
私たちは、ともすれば材料さがしに躍起になって、塩加減をいかにするかという大事なことを忘れています。佛法は、私たちの人生の匙加減をする智慧を与えてくれるものです。
昔の人は己れを忘れろと教えた。今の人は己れを忘れるなという。だからいつも俺が俺がの自我が充満し、それがぶつかりあって始末に負えない。
ということばに触れて、いまも七・八十年前の世相と同じではないかと痛感したことです。 まことに蓮如上人が語られたように、「我が身のわろきことはおぼえざるものなり」ということでありましょう。
近世は、自我の確立から始まったと言われていますが、自己の尊厳にめざめるということと、自我の拡大を図るということとは、全く別のことです。現代のように〈欲望肥大症〉と言われるほど自我心が露骨になってくると、かえって自ら人間の尊厳を傷つけてしまうことが多いのです。それ故にこそ私たちは、『蓮如上人御一代記聞書』のなかの
行くさきむかひばかりみてあしもとをみねば、踏みかぶるべきなり。人のうへ ばかりみて、わが身のうへのことをたしなまずは一大事たるべきと仰せられ候
ということばに胸が衝かれる(つ)かれるのです。私たちは、法に照らし出され、佛法は無我であると教えられることによって、自分のさかしらごころで処理しようとするそのみにくいすがたを、いつも懺悔したいものです。
たとえ短い命でも 生きる意味があるとすれば
それは何だろう
働けぬ体で一生を過す人生にも
生きる価値があるとすれば
それは何だろう
もしも人間の生きる価値が
社会に役立つことで決まるなら
ぼくたちには 生きる価値も権利もない
しかしどんな人間にも
差別なく生きる資格があるのなら
それは何によるのだろうか
この石川さんの訴えを聞いて、私たちは、何によって生きる資格と価値があると考えているでしょうか。私たちの生きる意味は何だと考えるでしょうか。
作家の曽野綾子は「いつでも誰かにしてもらうことを期待し、する喜びを持たなくなったものは、年齢の如何を問わず老人である。たとい病床に在ろうと、身動きならぬ老人であろうと、笑顔やあたたかいことばを与えることのできる人は、たしかに生きている人である」という意味のことを書いています。私の問題としてじっくり考えたいものです。
もちろん追突を避け、飛び出しを警戒しなければ大事故につながることを思えば、車の運転の安全を期するためには、極めて当然な装置であります。しかしこのバックミラーやサイドミラーが、私たちの人生に大きな意味を教えていることを、車の洪水のなかで感じる人は少ないのではないかと思うのです。人間は、つねに前向きに人生を考え、昨日よりは一歩でも前進して生きたいとねがうのは当然なことです。しかし、確かな前進と安定のある人生を持つためには、後ろを見る眼が必要です。まわりを見る心が大切です。その眼が持てたとき、人は間違いなく不幸と映る人生を「有難う」と受けとめることができます。ある障害児の母の詩を紹介します。この人には確かな二つの鏡があると思うからです。
あなたが私の子どもでなかったら
石を投げられた者の痛みの深さを知らなかったでしょう
障害の重い人たちが
天使の心を持つことも知らなかったでしょう
本当の愛も思いやりも 富める人の貧しい心も
貧しい人の富める心も
あなたが私の子どもでなかったら
知らずにすごした筈でした
私の子どもに生まれてくれてありがとう
痛みを感じるのは 生きてる証拠
痛みを感じないのは 屍(しかばね)
ああ 逆謗の屍骸(しがい)とは
この 爺のことであった
たしかに、生きているということは、痛みを感じることです。何ごとにつけても、痛みを感じなくなったのは、生きながらにしてすでに屍同然です。人の痛みも感じず、佛のめぐみに背いているという痛みも持たず、しかもその痛みを持たないことを悲しみともしないほどに私たちは横着であります。親鸞聖人が晩年に、自分の心のかなしきすがたに涙して、
浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし
と絶唱されました。何事も他人事としか思えないほどに自分をみる眼を失なった私たちは、親鸞聖人やこの前川五郎松さんの深くてきびしい眼を学びたいものであります。