お念仏をいただいて     本願寺布教使 三崎霊証

 浄土真宗のみ教えを一言でいただきますと、お念仏一つのみ教えです。私たちは、このお念仏をいただいていくことが大切なことでございます。文字で書いたら「南無阿弥陀仏」たった六字でございます。しかし、中にはこの言葉を呪文や、まじないぐらいにしか受け取らない人もおられます。しかし、実はそうではございません。南無阿弥陀仏とは何か、そのことを今日は少し味わってみたいと思います。
 まず文字の上からいただきますと、南無阿弥陀仏の「南無」とは「お任せします」ということです。つまり「阿弥陀仏という仏様にお任せします。」といっているお言葉が南無阿弥陀仏というお念仏でございます。親鸞聖人は、このことを
 『南無とは、帰命なり。帰命とは本願召喚の勅命なり』
とも、頂いておられます。難しい言葉ですが、判りやすく頂きますと、仏様の命令ということです。つまり、私の方から「任せます、お任せします」といっていることは、同時に如来さまが「任せなさい」と喚んで下さる「お喚び声」と頂きました。ですから私が、ナンマンダブ、ナンマンダブツとお念仏を申すことは「阿弥陀さまに身も心もお任せします」といっていることであり、同時に如来さまが「いつでもどこでも、任せなさい、任せなさい」と喚んで下さるお言葉が、南無阿弥陀仏のお念仏でございます。
 私の人生の中で、本当にすべてを任せきっていけるものがあるだろうか、頼りになるものがあるだろうか。そう考えたとき、大事なものはいっぱいあります。お金も大事、地位も名誉ももちろん家庭、家族も皆大切であり、自分自身の健康も大事なことです。しかし、その大事にしていたものは、最後の最後私のいのちの問題になるとみんなさよならです。
 このことを蓮如上人は、
 『かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことある  べからず。』
とおっしゃいましたけれど、正にそうです。本当に当てにし、頼りにしていた妻も夫も子供もみんな私のいのちの問題になったら、当てにも頼りにもなって参りません。そんな私に今「あなたのいのち私に任せなさい」とお喚び声できて下さったのが、南無阿弥陀仏というお念仏です。その仏様はいつでもどこでも誰でも障りなく救いとっていく、その仏様に遇わせて頂いているのが南無阿弥陀仏というお念仏を頂いていくことでございます。
 先年私はハワイ開教区の方に布教に参りましたとき、ホノルルのモイリリ本願寺にお参りされた女性メンバーの新藤さんという方と出会いまして、色々お話を聞かせていただきました。その方は非常に熱心に聴聞されておられます。そして、その方のお話によりますと、
 「実は今、姉が癌で入院して苦しんでいるのです。悲しいことに姉は仏法にご縁がなく、今そういう身になって初めていのちの行方を心配しております。ですから私がこうしてお聴聞させていただいたことを聞かせていただき、そして何とかいのちの行方と、いのちの安らぐ場をもって頂こうとお念仏の心を伝えさせて頂いております。」
そうおっしゃって、
 「わたしは、いつでもどこでも阿弥陀さまという仏様に守られ仏様にいつも喚ばれ、そして仏様の世界に必ず生まれるから、安心しなさいとおっしゃって下さるのがお念仏だと聞かせていただいております。ですから姉だけでなく、私のいのちもいつどういう形で終わっていくか判りません。また、私の悩み苦しみもいつでもどこでも起こってきます。でも、そんな私に『任せなさい、任せなさい』と、こう喚んで下さる仏様がいらっしゃるから、安心してこの人生強く明るく生き抜いていけると喜んでおります。そして姉には、どうぞ仏様の世界に生まれることを頂いてお念仏を申して下さいと、私が姉に伝えさせて頂いております。」 そのことを聞かせていただきまして、今お念仏は遠くハワイまでも伝え下さって、そしてハワイの人達が本当に心の糧とし、いのちの安らぐ場として喜んでおられる姿を見て、南無阿弥陀仏というお念仏はいつでもどこでも誰でもはたらいて下さってあることを味わせて頂いたことでございます。

戻 る