念仏のみぞ真実   本願寺布教使  三崎霊証

 私たちはいつでも安心できる場、落ちつき場所といいますかいのちの安らぐ場所をもつことが大切であります。それも、いつでも・どんなときでもひっくり返らないもの、そういうものをもたせていただくことが大切でございます。私たちの周りには大事なものがいっぱいあります。健康もお金も家族も皆大事であり、大切なものです。しかしそういうものはいつまでも私の側にいるわけではありません。それらすべてがなくなっても大丈夫といわれる安心できる場、それが実はお念仏ですよと教えて下さったのが親鸞聖人です。『歎異抄』という書物の中に 『火宅無常の世界は、よろづのことみなもってそらごとたはごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします』
と教えて下さいましたが、正に私たちの世界は火宅無常の世界、いつどういう形で私のいのちが終わっていくか判りません。そういう中でどのような状態になっても大丈夫と安心できる場が、南無阿弥陀仏というお念仏でございます。

 親鸞聖人が尊ばれたあの聖徳太子様のお言葉にも「世間虚假・唯仏是真」と教えて下さってあります。世間はみな嘘です。それじゃ真実とは何か。それを頂いていきますと、真実とは「不転倒・不虚偽」である。こう教えて下さった方が曇鸞大師というお方でございます。「転倒しない、虚偽しない」難しい言葉ですから一字ずつ味わってみますと、まず「転倒」の「転」とはサカサマという意味です。この世の中は皆逆さまですよとおっしゃいます。

 考えてみると、まず人間のいのち、これは順番通り終わってはいきません。若い者が、子供が、孫が先に行く場合があります。まさに人間のいのちが逆さまであります。できたら順番通り、親、子供、孫といけばいいですが、反対に子供や孫が終わってしまう場合もあります。また、人の付き合いでもそうです。隣近所のお付き合いの中で、相手に善意でやったことが悪意にとられるということがよくあります。世の中には助けてやったのに恨まれたという人もおります。まさに逆さまばかりの人生、それが「転」です。

 次に「倒」とはタオレルと書きます。この世の中はみんな倒れますよ。倒れないものは一つもございません。どんな立派な家でも、何百年たった木であっても自然の災害に倒れてしまいます。昨年はハリケーンがハワイを襲いましたけれども、ああいう台風や自然の災害がやってきますと、どんな大きなものでも倒れてしまいます。この世の中はみんな倒れますよ、それが「倒」です。次に、「虚偽」の「虚」とはムナシイ。キョとも読みますが、むなしいという字です。人生楽しいことも嬉しいことも喜びもありますけれども、しかし、その後はむなしさがやって来ると教えて下さるのが「虚偽」の「虚」です。たとえば、旅行に行ってるときは楽しいです。しかし旅行から帰ってくると疲れと同時に何かしら空しさが残ります。また、結婚式なんかをみますと、新郎・新婦は喜びの絶頂であります。ところが、反対のテーブルをみるとご両親が座っております。そのご両親の姿を見ていたら、嬉しいのか悲しいのかわからないような複雑な顔をしております。あれが、空しさだろうと思いますが、まさに人生嬉しいことも楽しいことも喜びもありますけれども、その後には空しさがやってきますよ、それが「虚」。

 次に、「虚偽」の「偽」とはニセモノということです。ニセモノという字は、にんべんにタメと書いて偽物。人のために、人のためにと言っていながら、案外偽物の人間もいます。まさにこの世の中はみんな偽物ですよということを親鸞聖人は
 『そらごとたはごとまことあることなき』
とおっしゃいましたが、本物だ本物だと思ってみても偽物が多いです。では、本物と偽物の違いはどうしたら見分けられるのかといえば、本物がわかっていないと偽物が分かりません。宗教の世界はまさにそうです。本物がわかっておれば偽物は分かります。

 あるお寺の掲示板に
  『本当のものがわからないと、本当でないものを本当にする』
と書いてありましたが、まさにそうでありまして、私たちは本当のものを頂いていくことが真実を頂くことであります。その真実とは「不転倒・不虚偽」、私がどのような状態になってもひっくり返らない、逆さまにならない、空しくならない、偽物じゃない、それが南無阿弥陀仏のお念仏ですよと教えて下さいました。
そのお念仏が私のところに来て下さった仏様、それが阿弥陀仏という仏様でございます。

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